東京都現代美術館

8日まで開催していたトーマス・デマンド展ついでに常設展も覗いてきました。


現代アートって、個性的すぎて理解出来ないこととかありますよね←

色んな人の作品がありすぎて、“好きなもの(人)を見付ける”楽しさもあるかもしれませんが…私には難易度が高すぎて企画展ほどの面白さは感じなかったですf(^^;

なんとなく小瀬村さんの映像作品は戻って観てしまいましたが…
ゆっくりで長いから最初見られなかったっていうのはある←
最後の鳥のシルエットとかは面白かったです♪
(同じく映像作品の寝転がって見るやつは酔った…←)

入り口のフロアにある座って筒を耳にするやつも面白かった!(こんな表現でごめんなさい(´Д`))
どこから聞こえてくるのか、ゴーッゴーッと不思議な音がしましたよ。意外と心地いいの(笑)
もう少し聞いていたかったなぁ。


常設の中の企画としては『作品の名前』というのが開催されていました。

題名って、なんとなく見ていて、ありのままのものだと「なるほど」抽象的なものだと「よく解らん」みたいな気持ちが多かったかも。
(題を説明してもらわないと理解できない!…みたいな。)
相変わらずその気持ちはあったりするけれど、きちんと注目して見るべきなのかも。

当たり前なんだけど《無題》という名が題になりもするんだよなぁ、なんて。
“呼び方”として必要なだけだったりもするけれど、名前ってやっぱり大切なような気がする。
どうしても略しちゃったりするけれど、よくないなぁなんて思うときもあるわけですよ。

題名云々は別としてデイヴィッド・ホックニー作の《竜安寺の石庭を歩く》ってコラージュ作品は印象的だったなぁ。